移住歴、80年? '移住' の概念が変わり続けています。

 町の皆様のお声を聞きに町をまわり始めてから、2ヶ月になりました。

真鶴町をより深く知るという意味でも、私個人の人生としても、この政治活動は日々の彩を豊かにしてくれています。

日々お話をお聞かせいただいている方々に、心より感謝申し上げます。


 週明け、以前ご紹介していただいた方と再度お会いしたので、時間の許す限りお話しさせていただいた中で、 

私が「〇〇さんは真鶴の方ですもんね」と言うと、

 「いやいや、私も強制疎開の後からだよ!生まれは〇〇市だからね。3代居るけど、家族は町を出ているから」と。


 これまでお話させていただいた'旅の者'(真鶴町特有の移住者の呼び方で、親子3代続けば町の人だと呼ばれるそう) の方の最長は70年でしたが、80年に更新されました。(!)


 それでも、その方が営んでいた大通りの旧商店の前でお話させていただいていたので、通る方通る方、勿論みーんなお知り合い。 

「元気かい?」なんて挨拶から「最近はどうだ?」なんてお話をされていて、横で拝見していた私にとっては、見まごう事なき「真鶴町の方の姿」でした。

こんな町のみなさんの穏やかな日常がずっと続くことを心から願います。


 真鶴町の歴史は、調べれば調べるほど面白く、そこに加えて長く町で暮らして来た方々のお話を伺うと「そんな経緯があったのですね!」とというお話を沢山聞くことができます。


 ちょうど前日の夜、平成10年代発行の「議会だより」を拝見しており、そこから25年余り真鶴町がどう歩んできたのかを勉強していたので、

昨日お聞きしたお話の数々も「町が何を選び、選ばなかったのか、何故そうなったのか」誌面には書かれていない内容が多く、その時の感情もお聞かせ頂いたことはとても勉強になりました。


 今週はお借りした本も読み進めることができました。

子供の寝かしつけの後や、家族が起きる前の早朝、ブログやレポート類の原案も大抵は写真の場所で書いています。

岩海岸を望むこの広縁のようなスペースは、毎日真鶴の魅力を感じる事ができる '我が家の特等席' です。


 波音と鳥の囀りが聞こえ、鷲鷹類が次々と滑空していく。

時期によっては日本最大級の蝶、モンキアゲハが目の前をヒラヒラと舞います。

初めてモンキアゲハが飛ぶ姿を見た時、あまりの美しさに「この町にはまだ神様がいるんだな」と感じた事を覚えています。

(関東以西でしか見られないそうですね!私は真鶴町で初めて飛んでいる姿を見ました。)



 昨日も面白いお話を沢山伺うことができましたが、それはまた次回更新時に書かせていたこうかなと思っています。


 今日は雨予報が曇りに変わったので、事務所に看板の下地をつけれたらいいなぁ!と思っています。 

堀あんなからの手紙 -WEB-

親しい人に手紙を綴るように、 真っ直ぐに今の '堀あんな' と '真鶴町に願うこと' を届けます。

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