ずっと政治のお話をしてみたかった方たち。

 町の中には、気になるけどお話させていただいた事はない、という方も多くいらっしゃいます。


 昨日は思いがけず、ずっとお話してみたかった方とお話する機会がありました。

その方も町内で子育てをされているものの、お互いの子供の年齢が違う為、最近はなかなかお会いすることがありませんでした。


 私が政治の道を志した時に、実は一番最初に頭に浮かんだのがこの方でした。 

(いつかご支援をお願いしたいという意味ではなく、単純に纏っている雰囲気がとても好きな方で、ご挨拶を交わすようになってからだいぶ経ってから、町の為に働いている方のご家族の方だとわかった方です) 

 久しぶりにお会いして「チラシをみてビックリした!」と仰っていました。


 初めてしっかり2人で話すことができ、感じた事は、「最初から抱いていた印象そのまま、心の声を飾る事なく口に出してくださる方だなぁ」という事でした。 

本当に素敵な方だなぁ、と。 

たまたま予定外に訪れた場所でお会いでき、運命の采配に感謝しました。


 昨日はもうお一方、親族に議員さんが沢山いらっしゃり、市議の家族として暮らしてきた町の方とのお話も出来ました。 (真鶴町での活動のお話ではありません) 


 先程の方もそうですが、政治家の家族となる人の気持ちは、なった者でないとわからない事だらけなのだと思います。 


 「家族の支えなしに政治活動はできない」 

わかっているつもりになっていましたが、両者とお話させていただく中で、まだまだ私には感謝と覚悟が足りないのかもしれない、と感じました。


 数ヶ月前、「子どもに影響があるとなれば、すぐに議員を辞めます」と仰って居た方々がいらっしゃいました。 

なぜか同時期にお2方、現職議員の方から、同じセリフを聞きました。 

 それがどれほどの覚悟なのか、私には知る由もありませんが、私自身も一児を育てる身です。

自分に置き換えて「もしも私が議員さんだったらどうだろう?」と考えると、現在想像できる範囲では「私は政治活動を続けるだろう」と思っています。


 私が声を上げたのは、その我が子が生き、成長していくこの町が、このままでは立ち行かなくなる!という大きな危機感からです。 

 そもそも我が子の未来を守りたいから、立ち上がったのです。


 行政として破綻した町の行く末は、皆様ご存知の通りです。 

 我が子にとっても勿論ですが、これまで真鶴が真鶴らしくあるよう懸命に町を守り暮らしてきた来た、古くから住む方達が一番に影響を受けることになります。

 自分の希望で故郷を出るのはそれぞれの選択ですが、「出なければならない」とは全く意味合いが違って来ます。


 紛争地のニュース、原発の影響のある地域のニュースなどを見ていて、「出なければならなかった方々」のお話を聞くと、人ごとではない!と強く感じます。

私には、それほどまでに真鶴町が危機的状況にあるように映っています。


 やはり、見えてしまったものを、見ないふりは出来ない。

今ここから、変えて行かなければ、と思うのです。 


 その先に、見てみたいと思う明るい景色があります。 

昨日も書かせていただいたように、真鶴町だからこそ、叶えられると感じている景色です。


 お話会や町の中での対話を通して、これから少しずつ町の皆様とそのビジョンを共有していけたらいいなぁと思っています。


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親しい人に手紙を綴るように、 真っ直ぐに今の '堀あんな' と '真鶴町に願うこと' を届けます。

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