「ありがとう」「ごめんね」「おかげさま」の世界。

 一昨日お仕事の後に少しお邪魔したお宅で、 

「私は、教育が社会を作るのではなく、社会が教育になるべきだと思うよ。」というお話をお聞きしました。 


 議会中継を見ていて私が気になったことの一つに、

'なぜ自分の質問に答弁してもらったのに、まず「ありがとうございます」とお礼を伝えないのだろう?'

というものがあります。

国会中継を見ていても、いつも気になっていたことでした。


 私にとっては、人生通しての '当たり前' が通じない世界なのかな? 

もしかして「ありがとう」と伝えることは '負けを意味する' のかな?

私は議員さんではないので、答えはわかりませんが…もしもそれが「その世界の当たり前」だとしたら、私は規格から外れてもいいや、と思ったりします。


 真鶴町の子どもは、横断歩道を渡った後に止まってくれた車に向かってお辞儀をしていきます。

 「おはようございます」「ありがとうございます」がちゃんと聞こえる地域です。


 ある一時期、「危ないから知らない人に挨拶をしないように」と子どもに伝える、という話が出ていました。 

 私も都内で何度か転居したり、一人暮らしで怖い経験をして警察に相談した事などがあったので、理解できないというわけではないのですが、それでも「挨拶は人の基本のはず」と思ってしまいます。 

これは古い考え方なのでしょうか。 


 子供の頃から今に至るまで、朝、歩いていてお会いした地域の方には「おはようございます」とご挨拶します。

 稀に返ってこない事もありますが、その方にはその方のご都合と当たり前があるので、それは問題ではありません。 


 昨日は、荒井城址公園の間近に迫ったイベント ’しだれ桜の宴’ の準備があり、商工会青年部の皆さんと公園内での設営に参加させていただきましたが、やはり、真鶴の方は比較的多く当たり前にご挨拶をしてくださると感じました。 


 私はそんな町民性が大好きです。 

 古い!と言われようとも、これからも残って行って欲しいと切に願う慣習です。 


 大人たちが当たり前に声を掛け合い、人を大切にする地域社会。 

そこで育つ子供たちへの影響が「教育」となるのかな。 

お話させていただいた町民の方は、そう言いたかったのかな。 

そんな事を感じました。 



 また、昨晩は長野県から父母が来訪し、お誕生日祝いを兼ねて、honohonoさんにお邪魔させていただきました。 

本当にいつ何をお願いしても美味しい。美味しすぎる!!

両親も大満足!と喜んでくれて、とても嬉しかったです。 


この小さな町には、素晴らしい飲食店が信じられないほど沢山あります。 

住民も来訪者も多いとは言い難い地域。 

飲食店の運営を志した者にとって、実際に町内でお店をやられている方々の日々の努力には、本当に頭が下がる思いです。 

堀あんなからの手紙 -WEB-

親しい人に手紙を綴るように、 真っ直ぐに今の '堀あんな' と '真鶴町に願うこと' を届けます。

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