子どもと仕事と行政サービス。

 次回のチラシ「堀あんなからの手紙 Vol.2」の編集が最終段階に入っています。


 町のお声をもとに、さまざまなご意見に対してのQ&Aというスタイルで製作を進めていますが、

 「A4一枚では、とてもとても足りませんでした!!」という結論だけは確定しています...。


 これまでは

「意見の押し付けにならず、個々人の感覚を左右してしまわないように」

という理由で、できる限り私個人の思いは横に置いて、町のみなさまのご意見を聞くことに注力してきたつもりです。

しかし、チラシの完成を目の前に、

「そろそろ私自身が訴えて行きたいこと」もしくは

「既に行動を始めていること」について、

なるべくオブラートに包まずに書いていこうと思うようになりました。

…A4版に収まらなかった分も。(苦笑) 



 真鶴町に移住から2年後、私は待望の第一子を妊娠しました。


 若い頃から子供を持つのは難しいと言われ、さまざまな病院を渡り歩いた後、「私には無理なんだ」と思い、ならば!とずっと飼いたかった猫を飼い、俗に言う '妊活' という時期はとうに過ぎ去った頃。

「なるべく気負わずに、他の病院に検査をお願いみようか?」と話をしていた頃でした。


 思いがけず舞い込んだ子宝ニュースに家族で大喜びし、「どんな事があっても絶対に守り抜く!」とお腹の中の子供に誓ってからはや数年。


 4歳半になった我が子は、それはもう充分すぎるほど元気に家の中を駆け回り、(短すぎる)睡眠の時間を除いて我が家には静寂などただの一瞬もありません。 

(私は比較的静寂を愛する人間でしたが、穏やかにティータイムを楽しめた日々は前世のように感じます。苦笑) 


 現実的に、生活の中で一番変わったのは 

・時間の使い方 

・お金の稼ぎ方 

・お金の使い方 

だと思います。

(人間性は、良くも悪くも全くと言っていいほど変わりませんでした。)


 36歳まで子供を持たないつもりで生活してきた事と、長いこと自営業者なのとで、体力と時間を自由に使える前提での仕事づくりをして来たように思います。

全国どこへでも出向きましたし、何日間の出張でも、少々寝れない日が続いても、なんの問題もありませんでした。


 子供を産み育てる中で、私の中での仕事に対する '当たり前' は大きく変化しました。

特にこの真鶴町で、核家族の中での子育てでは、母である私の予定は我が子の都合によってほぼ決まります。


 子供が1歳の時に一度だけ都内での大きな催事を引き受けましたが、保育園からは

「父母共に遠方の仕事で頼れる親族が近くにいないという状態は、開園以来前例がない」

そして

「お迎えの要請をしたら1時間以内に来てほしい」

と伝えられました。


 お迎えの要請=子供のピンチだ!と当時は思っていましたので(実際には違ったりします)、

「仕方ない…」

という思いと、

「ではどうすれば普通に働けるの?」

と言う疑問とで、しばらくモヤモヤしていました。


 町内に産後の育児サポートなし、家事サポートなし、(近隣地域の民間事業者にお願いして呼ぼうと思ってもとんでもない高額)、病児サポートなし、曜日指定の町内の預かり所も仕事による利用不可、かつ3時間まで。 

「子供は親族みんなで育てるものでしょ、母親は家に居ればいい、子供が病気ならば尚更。」 

そう言われているような気がしました。 

(実際に言われてはいません。苦笑)


 長野県からまだまだ現役の両親に自らの仕事を置いて来てもらい、本当に沢山の町内の知人にも支えられ、催事自体は無事完走することができましたが、その時の精神的負担と身体的な負担、周囲にご迷惑を掛けたという思いは今も脳裏から離れません。


 結果、その後お声がけがあった魅力的な催事への出展は例外なく全て諦め、自営業の仕事は最低限のオンライン受注のみに抑えました。

 この町の子育てにおいて、核家族の母親である限り「できる限り町内で」「いつでも休めて呼び出し時にはすぐに早退できる」仕事をする、以外の選択肢がなくなりました。


 私は、町内での乳幼児育児がこのままでいいとは、到底思えません。


 自治体のサポートも、民間のサポートも、もっと働く親の味方であるべきです。 

 働く親は、決して子どもを蔑ろにしている親ではありません。

それぞれの事情と都合があり、必要があって共働きになっている家庭だってあるはずです。


 まずは「選択肢」を。

そう思い、既に色々と動き始めていますが、やはりまだまだ考えて動き続けていかないといけないな、と、最近さらに感じています。


 この辺りは、子育て世代に町への移住を検討していただく上で本当に大きな大きな課題です。

町に子育て世代が増えれば、活気と税収に繋がる。 

それは老齢者福祉のサービス拡充やライフラインの安定的な供給にもつながり、過疎化と財政難が叫ばれて久しい町自体の持続可能性に直結する。 

私はそう考えています。



 そんな中、つい最近まで、本当に恵まれた会社での時間短縮勤務をさせていただいていました。


 昨年末に2ヶ月だけお邪魔したことをきっかけに、「急に忙しくなったから!」と別部署での仕事に再度声をかけていただき、また、2ヶ月の予定だった勤務が気づけば4ヶ月ほどお世話になりました。

大変ありがたいことに「次は10月からきて欲しい」と既にご提案いただいていますが、自分の仕事や今後の活動とも併せて検討させていただきたいと思っています。


 先週末の最後のお仕事の日、同じ部署の方々が、それぞれに思いのこもった贈り物をくださいました。 (写真以外にも多数。時短勤務の人間にここまでしてくださるなんて…びっくりしました。)


たった数ヶ月の勤務で、子ども関係だけでなく、個人的にも沢山ご迷惑をお掛けしたであろうに、皆様の盛大なお見送りに(ちょっと照れ臭くなりながらも)本当に感動しました。 

(比較的自宅から近い会社であったにも関わらず、同じ部署内に真鶴町民の方はいませんでした。都民である直属の上長のみ私の活動の方向性を把握して下さっていて、諸々の予定を加味して勤務形態を組んでくださっていました。) 


 こんな温かでそれぞれの都合を優先できる職場が、町内や近隣にももっともっと増えていって欲しいなぁと心から思います。


 これは行政の仕事ではないと感じているため、民間でご尽力されている方々とも協議・協力して、あらゆる角度から働きやすい職場の創成を考えていきたいと思っています。



 実はこの職場の今週末に開かれる懇親会にも呼んで戴いています。 

「その頃にはもう居ないんですが…」と言った私に、「関係ないよ!」「送別会も込みですね!」と口々にいってくれた元同僚の皆様にまた会えるのが、今からとても楽しみです。 

(と言っても退職からたった1週間しか経っていませんが。笑)



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