先週土曜日は、またまた勉強の為に霞ヶ関へ。
今回の講師の先生方は、
1限: 現在は無所属の衆議院議員さん(元通算・経産省官僚の方)
2限: 自民党所属の衆議院議員さん (元法務大臣の方)
3限: 国際政治学者(ジャーナリスト・大学名誉教授の方)
でした。
(それぞれの先生方のお話の内容については割愛させていただきますが) 3回目の政治塾にして、初めての疑問が浮かびました。
「この言葉は本当だろうか?」
「選挙演説のようだなぁ(良くない意味で)」
と感じたからです。
参院選も近く、国会周辺も政治塾の中も、前回までより空気がヒリついているのがわかりましたので、その影響も強かったのかもしれません。
最近の私は、チラシの制作・配布を通して、本当に大切にしたい事がよりクリアになってきた感覚があります。
なんの後ろ盾もなくても、どれほど無謀でも、何度か心がボキッと折れようとも…
'絵に描いた餅を描き続ける人' が必要なんじゃないか?(こちらは勿論、良い意味で)と、自分を鼓舞しているのですが、あまりにも流暢に「身を切る覚悟で」と仰られている代議士の先生方の姿に、私の懐疑心がむくむくと頭をもたげたのです。
(個人的には、非常に苦手な感覚です…苦笑)
結論から言うと、私の感じたことのほとんどは、私の無知から来るものであったと、今は感じています。
残念ながら講義中には理解が追いつかなかったことの答えが見えたのは、全講義が終わった後の懇親の場でのいくつかの会話からです。
以前講師の先生の政策秘書をやられていた方(現在はご自身が政治の道へ)の、代議士への感覚は本物だと感じましたし、とても感銘を受けました。
そして、歴代総理とも面識があり(実際に現役総理大臣をこの非公開の政治塾の講師として招いたこともある)約60年政界を中から見て来た方(塾の主宰のお一人)の言葉が、私の感覚があまりにも未熟であるこことを教えてくださいました。
「それがあなたが40年の人生で感じた事実だし、現在の政治の写り方なのだから、今日はそれでいい。だけど、さっき話してた彼らの言葉も、私が知っている彼らの事実だよ。
国政の中で無所属で、落ちたり通ったりを繰り返しながら、それでも国を変えたいと思い続ける人間の想いと行動力の強さは並大抵じゃないんだよ」
「あなたも毎日活動する中で、伝わらないもどかしさを感じることがあるだろう、根拠ない風評を耳にしても笑顔で次の一歩を踏み出す場面があるだろう、そんな経験を何百何千と繰り返して、それでも(議員)バッジをつけて彼らは今日ここにいる。」
「彼らのような人間が少なからずいる。それでも…日本の政治はまだ先が見えない。だから私はこの塾をやっている。自分の生きている間には間に合わないかもしれないが、日本に明る未来があればいい」
そして最後に 「まずは真鶴町から、あなたの思考を現実化して行ってくれたら嬉しい。 ところで…私も、あなたの応援に行っていいのかい?」
恐れ多くもそんな言葉までいただきました。
そしてまた、気づいたのです。
この政治塾にいらっしゃる、塾生も運営サイドの方々も、誰も私の考えていることや行動を否定せず、 よく聞く「もっと勉強しなさい」と言うような'閉じ言葉'で経験の浅い(私の場合はないに等しいですが…の)若輩者をシャットアウトしたりもしません。
皆さん真摯に何者でもない私の疑問に向き合い、静かに次の深慮遠謀の力をくださる。
本当にありがたいことです。
ちなみにこの政治塾において、私は一切の支出をしていません。
主宰の方々は、在来線代も、往復新幹線代も、講義代も、滞在中の飲食のお金も取らず、その恩を押し付けるような振る舞いをする事も決してありません。
「資産や学歴や経歴や党派閥に関係なく、本当に日本の未来を考えてくれる人間を育てたい」という意図が本物であると、通うたびに感じます。
三度、20余人の選抜に残れたことの幸運を感じる日でした。
(この辺りの経緯は以前のブログ「信じられない事に、合格の通知をいただきました。」に記載しています。)
夜でもネオンと喧騒が鳴り止まない新橋駅を出発し、帰路では最後の講師の先生にいただいた推奨図書を拝読しながら帰りました。
22時半に真鶴駅に着くと、そこは全くの別世界。
同じ日本の中、しかも東京という大都会からこれほどアクセスの良い場所に、ちゃんの虫の音が聞こえる穏やかな港町がある。
もっともっと、この真鶴の魅力を沢山の方に知っていただきたいと心から感じます。
帰宅後は息つく間も無く首を長くして母の帰りを待ってくれていた4歳児の寝支度へ。
(政治塾の日は主人が一日子守をしてくれます。慣れない子守にヘロヘロの彼にも感謝です。苦笑)
一気にお母ちゃん業務に舞い戻りつつ、やはり「何が大切か?」を考えます。
一番はやはり、この家族です。
私にとってかけがえのない宝物です。
その家族の未来を作り守るためにも、私は立ち止まるわけにはいきません。
そして、どんな方々と関わり、この人生を生きていくのか。
私が'誰かを信頼できるか'という基準はとてもシンプルで、
・考えている事
・言っている事
・やっている事
が一致しているのか?という事がまず初めに来ます。
政治塾で出会う方々とのお付き合いの中でも、いつも考えていることです。
勿論、全ての要件を満たしている方だとしても'とんでも論'だ!と感じる事もありますので、全ての方に当てはまるとは限りませんが、これからもずっと大切にしていきたいと思っている感覚です。
まず私がちゃんとその範囲に入れている人間でなければいけない、ということは言うまでもありません。
政治という文脈の中ではなおさら、「誠実である」とは、そういうことなのではないかと感じるのです。
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